3、歳入・歳出の推移(一般会計決算収支より見えること)
嵐山町財政は、平成19年度最も、借金の返済額が多く、厳しい状況にありました。(ちかいうちにアップします)
その借金は、どこでおこなったのか、下のグラフよりわかります。
平成20年度の決算資料は、まだ公表されていないのでH19年度までで示しています。

●H3年、嵐山町は初めて大手ゼネコン建設の鹿島建設に町道1−12号線(通称遠山道)の建設を指名入札させます。
町道1−12号線は、今は計画がなくなったゴルフ場コリンズカントリークラブの進入路です。
当時、埼玉県知事のゴルフ場開発許可は、この町道1−12号線が拡幅されることが条件でした
町道1−12号線は、平沢大店舗街に続き、そこからさらに滑川町に抜ける都市計画道路として予定されています。
町道1−12号線の建設がきっかけとなり、
嵐山町では、多種多様の公共事業の建設が続きます。現在の町づくりの青写真ができました。
平成7年がピークになっています。これは役場庁舎が、杉山の現庁舎建設のための借入金等で膨れ上がったものです。
その後、平成10年に嵐山町立図書館の建設が続き、新しい公共施設建設を結ぶ道路が建設されていきます。
武蔵嵐山駅の橋上駅化・平沢大店舗街の展開で、人の動きが駅西集中から分散していきました。(街中空洞化です)
平成3年に、平沢土地区画整理組合の設立、公共下水道の建設が始まり、公共投資・建設事業が、バブル後に続きます。
バブル後、花見台工業団地の開設によって、税収は法人税・固定資産税が伸びます。
が、同時に借金を膨らませ、国の景気対策による道路事業が増え、役場庁舎を中心にする町づくりで、嵐山町の様相は、まったく変わっていき、現在の姿になりました。
その結果、借金返済・貯蓄のない現在の嵐山町財政になっています。

平成12年ころより始まった、平成の大合併の国の政策に翻弄されます。
平成の大合併政策は、比企地域で失敗に終わり、落ち着きを取り戻しました。

岩沢町政にかわり、財政が疲弊したところで町づくりが再開しました。
岩沢町政は、膨らんだ借入を減らすこと、駅西側の整備をすること、嵐山町のインフラ整備は終了したという前提に始まりました。
が、政治家は、常に選挙で選ばれるため、町民の要望にこたえます。
税収などのない中、進めていくために、町づくり交付金という比較的有利に見える国の補助事業を始めました。
と、同時にソフト面での住民要望にもこたえるという現状、国の金融不安対策があり、これから公表されるH20年度はまたも財政規模が大きなります。